はじめまして、あいのもりビレッジ代表の新国 愛美(にいくに まなみ)と申します。
私は39歳で結婚、40歳で出産を経験しました。
随分と歳を重ねてからの出産になったのは、自分が親になることへの決意がなかなかできないでいたからです。これからの世の中に不安があったことや、私自身が母子家庭で育ったため家族というものを知らなかったことが一つの原因でした。
そんな中で一人の子の親となり芽生えたのは「この子がこれから100年、健やかに育っていく為にどうしたらいいのか?」という想いでした。
心も体も健やかにこの子の命が続いてゆくように自分はどんな選択をしたらいいだろう。
そんな風に考え始めると、通わせたい幼稚園も小学校も中学校もない現実に気がつくのにそう時間はかかりませんでした。子どもが生まれたばかりの頃に書いたブログにはすでに学校を作りたいと書いていて、今思えば子を授かった時点でこうしてあいのもりビレッジを創る道が拓けていたのかも知れません。
息子が幼稚園入園を迎える年を目前にして、ありがたいことに通わせていただきたいと思う幼稚園がみつかりました。
親子で通うことができて食事はお弁当を持参できるありがたい環境でした。せめて10歳までは親子・家族の時間をたっぷりととって、あっという間に過ぎていくであろうかけがえのない息子の成長を心地よい距離感で見守って行きたいと考えていた私は、幼稚園入園にあたり、個人事業主として大工をして生計をたてていた夫に、お給料はいらないから仕事を減らして親子で通う幼稚園に息子と一緒に通って欲しいと提案しました。
バリバリ元気に働けていた時だったらこんなにスムーズに承諾してもらえなかったかも知れませんが、息子が入学を迎える年の年末年始から夫が顔面麻痺になり、年越しもお正月もなく治療に専念しなければならない状態を経験し、そこからしばらくリハビリをしていた時期と重なったことで、これからの人生を本当の意味でより豊かに過ごしていく為にはどうしたら良いのかという意見を一致させる話し合いがスムーズに行われました。
それでもしばらくの夫の行動は休日に息子と幼稚園に遊びに行くというようなイメージの日々が続きました。
これは夫が悪いわけではなく、昭和生まれで育った私たちの世代に多い、父親は働いて母親は家事をする。というような感覚がどこかに根付いてしまっていたこと、二人で協力して子育てをしていくことがどのような形なのかがわからなかったということからの行動だったと思います。
私は生計を立てるべく働きながら、家事を一人でこなしていかなければならず、今振り返ってもよく倒れないで過ごせたなぁという日々でした。笑
大工の夫が働くとなると朝早く(息子が起きるか起きないかの時間)には家を出て、帰宅は早くても息子が眠る1時間前。子どもの成長を感じられる時間はほとんどなく、週に一度の休日も自営業なので事務仕事などに当ててしまうことも多くありました。
私はヒーリングサロンを運営しており、物作りやセミナー講師としての仕事が主なので、朝は息子と夫を送り出すまで息子との時間を満喫しながら家事をして、二人が幼稚園から帰ってくる夕方近くまで働き、帰宅する頃にはご飯支度を済ませて迎えることができます。私が働く方が家族の時間を多く取ることができるため、息子が眠ってからも仕事をしたりして少しばかりハードな日々となりましたが、心の充足感はとてもとても大きなものとなりました。
息子が3歳になるまではいつも一人で子育てをしていたような感覚があり(実家に頼ることもできなかったので、孤独であったとも思います)アレルギーがある息子を生かすことで精一杯だったので、多少体力的にハードになっても精神的な安らぎが大きく、子育てはこうしてなるべく複数の人たちと共有できるのが望ましいなと思う気持ちが広がりました。
親のためにも子どものためにも。
一方で息子が入園した年はコロナという未知のウイルスが猛威をふるっている。と、いうはじまりの時でもありました。
喘息のある息子を育てているので、その情報をいち早く捉えて、まだ多くの人が普通に過ごしている期間に我が家は自主的に家にこもりロックダウンをしていたような状態でした。息子を健やかに育てていくということを最優先事項にしている我が家では、錯綜する情報を紐解いていく作業が大切になり、そちらは情報収集が得意な夫が担当してくれました。
ほどなく我が家では自然治癒力を上げる努力をしようという結論に行き着きました。マスクや消毒をせずに、たっぷりと呼吸をして細胞を元気に保てる食事をしよう!!たくさん笑ってNK細胞を活発にしよう!!そんなテーマを決めて、それまではテレビは寝室に時々映画を見るためだけに置いてあっただけでしたが、リビングにもテレビを導入することにしました。笑
外出を減らして、映画鑑賞をする時間を増やすのも楽しいね!そんな感覚でしたが、現代のテレビは素晴らしく、映画鑑賞よりもYouTubeなどでも多くのことを学ぶ機会を得ることができました。
3歳になった息子がテレビを見て喜んだ姿は、まるで映画のALWAYS3丁目の夕日の世界のようでした。笑
※そんな息子が週に何度か訪れるテレビタイムで見て居るのはは虫取りと素潜り漁師さんのサバイバル動画です。笑
そして月日が流れ、世の中で何がどうなっているのかがどんどんと見えてくる中で、生きづらさを感じている人たちの姿を多く感じるようになりました。私たち夫婦も、このような世の中で息子をどのように健やかに育てるのかをさらにしっかりと考えるようになりました。
最初は家族でより良い環境を求めて暖かい地域に引越しをして自給農をしながら、豊かな取り組みをしているオルタナティブスクール に息子を通わせると言う選択も考えました。
子どもは一人だし、夫も私もどこへ移り住んでも続けていける仕事を選んで来たことや、いつでも引越しができるようにマイホームを持たない選択をして来たこともあって希望通りの未来を手に入れるには引越しが近道と考えたりもしたんです。実際、自分たちだけのことを考えたらそれが一番楽な道だったかも知れません。
でも70代になった両親が旅立つまでの時間も大切にしていきたいなと思ったことや、大好きな北海道に住まう同じ意識の人たちと繋がってより良い未来をここで創造することの大切さを感じたことがコミュニティーを作ろうと決意した一つの力になり、最終的に行き着いた想いは、この子が良き仲間とともにしっかりと命を守って生きていけるように導きたいということでした。
食糧危機や戦争も視野に入れ、ここから100年先の未来までこの子が心身ともに健やかに生きていけるように何をすべきか?に着目して、どうすべきか考えた時に自給自足や食料の備蓄、衣食住、などの現実的な側面と、豊かな精神を育てて行くことの両面が大切だと思うようになり、こんな時代だからこそ希望を持って同じように豊かさを分かち合いたいと思う人たちと繋がって、喧騒から離れて一息つけるような、精神的にも肉体的にも安心して過ごすことのできる村のようなコミュニティーを作りたいという思いが生まれてきました。
自給農をする畑と、小中学校がメインとなったコミュニティーですが、子どもがいるいないに関わらず新しい時代を共に創造できるような人たちと、それぞれにちょうどいい距離感で、心地よく集える場所があったらいいなというイメージを膨らませています。
子どもの健やかな成長を育む以外にも、私が子育ての最初に経験したように孤独な日々を歩んでいるママさんがいたら、赤ちゃんと一緒に畑やコミュニティーセンターに来てくれたら、きっと誰かが赤ちゃんを抱っこしてくれます。その間にお母さんはゆっくりとお茶を飲んだり、お昼寝をしたり、本を読んだり、子育てで心配なことがったら、居合わせた先輩ママに相談して見たり、美容師さんがいたら髪を綺麗に整えてもらったり、マッサージ師さんがいたら体をほぐしてもらったり、そんな場所であるといいなと思いますし、子育て中の人たちがそれぞれに感じている悩みや喜びなどをシェアできる場であるといいなとも思います。
一人っ子の子には兄弟姉妹のような関係の友人ができたり、赤ちゃんは手の空いている人が抱っこしてくれたりするでしょうし、親子で通うことでみんなで協力して日々を過ごせるという利点があるので、兄弟や姉妹の居る子は、自宅にいるよりもお母さんを独り占め出来る機会に恵まれるのではないかと思います。
自給農にみんなで力を合わせて取り組みながら、子ども達の成長を見守りたいと思うシングルの方やご夫婦の二人暮らしの方、ご両親との3人暮らし達、そして歳を重ねて人生の最終地点まで楽しく健やかに過ごしたいと願う人生の先輩たちにも集っていただくことで、一つの大きな家族のようにあたたかなエネルギーが満ちて行くように感じています。
子どもが輝きながら過ごす場所で多世代の多様な人たちが楽しめる場。
子どもにとっても大人にとっても心地よい健全な場所。
何かや誰かに怒りを向けるのではなく、世の中で起きている現実をしっかりと捉えながらも、今この時を北海道でいかに楽しんで行くかに意識を向けて過ごしていけたらいいなと思いっています。
お互いに得意を活かして人生を思いっきり楽しんで過ごせたなら、それは何よりも幸せなことなのではないでしょうか。そんな未来を創造できる場があいのもりビレッジ。
一緒に素敵な未来を創って行きたいと思ってくださる方々と出会えることを楽しみに、こんな想いで設立までの日々を歩んでいます。