はじめまして。あいのもりビレッジ代表の新国愛美です。私は1976年、昭和51年生まれ、2022年で46歳になります。

私が子どもだった頃は予防注射をするのが当たり前とされる社会でした。風邪をひいたら即病院へ行き、お薬を沢山飲むのが主流の時代。

幼少期の私はいつも熱ばかり出している子どもで母からは日常的にいつも通院しお薬を飲むことが多かったと聞いています。そんな私には小学校高学年から様々なアレルギーが出始めました。

花粉症から始まって、バラ科の果物が食べられなくなり、大人になると結婚前の数年は毎年のようにアナフィラキシーショックを起こし、救急搬送していただくようなアレルギー症状が出たりもして(原因は過労であろうとの診断でした)食べ物や生活環境にさらに気をつけるようになりました。

その後40歳で出産を経験しました。

食生活には気をつけていたものの、息子は生まれたてから湿疹が出ている状態で、肌が弱いのかな?と思いケアしながら過ごしていたら、6ヶ月検診の時に出会った女医さんがアトピーだと思うから早めに皮膚科に出かけるといいと教えてくれ、そこから息子のアトピー、食物アレルギー、喘息と向き合う生活を送ることになりました。

今思えば、私が幼少期から過剰にお薬を摂取していたことなども一つの要因であったかも知れないと思う出来事でした。大変な時期もありましたが、いろいろな経験を経て4歳後半にはアトピーは完治。喘息も上手に付き合えば吸入などせずに過ごせるような状態で済むようになりました。

残すところは数値の高い食物アレルギーと上手に向き合って、どのように息子の食生活をより豊かで楽しいものにしていこうかと言うことに現在色々と取り組んでいるところです。

大人になって社会を見渡した時に、お薬は症状を抑え込んでしまうものであって治すものではないことを知ったり、逆に熱を出したりお腹を壊すのは体が本来持っている治癒力を高めるために大切な反応であるから、ゆっくりとその症状と向き合って出し切れば体は元気に回復することを知ったりする中で、我々の子ども達の時代には、食を通して心や体が作られていくことや、体の不具合が出た時には抑えるのではなく出し切って回復させる方法や手段を学ぶことの大切さ、さらには心と体の繋がりや、健康に楽しく生きていく方法、健康でいられるものを食するためには海や山を大切にしなければならないこと、里山つくりをして野生動物たちとのより良い関係を築いたり、山を大切にすることで養分が海に流れ海産物も豊かになっていくと言う連鎖を伝えるなどの時間が大切だと感じるようになりました。

さらに昨今の世の中を見渡した時に、これからを生きる子どもたち、そしてそこから生まれる新たな命が人工的なものの力によって蝕まれることのないように。

そして、生きとし生けるもの全てがナチュラルにそれぞれの持つ本来の力を最大限に発揮して、健やかに行きていける世の中になるように。そんな想いが大きく膨らむようになりました。

子どもの頃から、学びや遊びを通して自然に触れ、自分たちの口に入る食物について知ることで、健康についての豊かな知識が当たり前に身について行くのが最も重要な流れであると感じます。そして日常的に多世代の人と交流することで、老いていくことの豊かさや命についても感じられる子どもたちが増えてくれたら、それこそ豊かなことだと思います。

自分たちが食べるものを畑で育てる中で、土の栄養についても学ぶ機会がやってきます。お米や野菜を育てる中で堆肥を作ることや菌について学んだり、肉体を学んだり、色々な経験値が植えていくと思います。

堆肥を作るためにコンポストやコンポストトイレを作ろうと考えた時、内臓がしっかりと機能している若い人たちのウンチは養分が少なく堆肥としては不十分かもしれないけれど、おじいちゃんやおばあちゃんのウンチは養分がいっぱいで、お年を召した方たちはそんなに沢山体が動かなくなったって、一緒に笑い元気に食べて、いいウンチをしてもらえたらそれは最高にありがたいことで、大豊作につながる土壌を作れると言うような流れを子ども達が日常的に体感して学ぶことなどもとても豊かな学びになると感じています。

核家族化した現代、ご近所付き合いも希薄になっていく中で、多世代で集うことにはこのような尊い学びがたくさん散りばめられていると思います。

毎日カリキュラムに沿って勉強をすることよりも、自然の中で心を豊かに広げていくことが、人一人の人生を構築するには大切になってくるように思います。私たちの中にはどこかで「ちゃんと」とか「しっかりと」とかそんな言葉が根ずいてしまっているかも知れませんが、自他共に認めあい、自然の摂理を知り、存分に五感を使って感性を高めて生きてきた子ども達は必要に応じて、それこそちゃんと人生を豊かに広げていくことができると思います。

一定時間机に座る経験がなくても、長い列を作って順番に並ぶ経験がなくても、自分にも他人にも寄り添える心が育まれている子どもは世の中に出ても困ることはないと思います。

5年10年時が過ぎると、学校教育は随分と変わってくるとも思います。

「ちゃんと」学校に通わせなければ、この子の将来にとって困ることが起きるのではないか?

「しっかりと」社会に適応できる子に育ってくれないと困る。

そんな心配をする必要は本当はなくても、私たちの中には育ってきた社会の背景からそのような思いがどこか深いところで根付いてしまっているところもあるのかも知れないなと思うことがあります。

みんなと同じでなくてなはらない。ちゃんとできないと恥ずかしい。そんな概念は子ども達の成長には全く必要ないことを本当は知っていても、長年当たり前のように教えられて来たことは気がつくと自分の内側でナチュラルになってしまうんだなということを経験的に感じているかたも多いのではないでしょうか?

そんな観点からも、今と未来を生きる子どもたちにどんな感覚を育んでもらいたいのかを考えなければならないように感じています。

小・中はオルタナティブスクール 、高校は通信、通信教育の途中て起業すると言う子ども達もどんどんと増えていく時代になるような気がします。しかも起業もただお金が欲しいとか地位や名誉だとかそんな小さな目的ではなくて、こんなことができたらみんなが幸せになる!とか、楽しい世界になるだろうな!など、愛に溢れた想いではじまることでしょう。

本当の意味で豊かに育った子ども達は、私たちが知らず知らずに少しづつ狂わせてしまった世の中を立て直す光になるようなリーダーに育ってくれる気がします。

私たちは代々受け継がれてきた命を、ここからどうやって継承していくのか考えなければならない時代に生きていると思います。100年先の未来をイメージして今できることをと考えた時、本当の豊かさを今一度一人一人が考え直していく必要があるのではないでしょうか?

きっとそんなことを日々、考えている方たちがこのブログを読んでくださっている気がします。

これからは、あいのもりビレッジに集うみなさんと共に大人になった私たちも、そしてこれから大人になっていく純粋無垢な子ども達も、みんなで本当に豊かさを体感していきたいなと思っています。